あに子の通り道

旅行が好きな大学院生です。コロナの影響で引きこもりになったので、再開してみました。

【振り返り旅行記】ベトナム・ホーチミン

訪問時期:2015年1月

 

幼い頃から外の世界を見てみたいと思っていた。

登下校で毎日同じ道を行き来する生活にどこか飽きてしまっていたのだ。

高校の修学旅行で韓国に行き、更に海外に対する関心が高まった。

海外の途上国に対するボランティアやチャリティー活動を行うテレビ番組を見て、「こんなことがしたい!」と思った自分がいた。

漠然と国際協力に憧れていった。

 

「大学に入ったし、国際協力してみよう!ボランティアしたい!」

そんな気持ちで某旅行会社のボランティアツアーを申し込んだ。

ベトナムホーチミンの孤児院で子供たちと交流するといった内容だ。

旅行会社を介したせいか、今振り返るとかなりの金額を費やしたと思う。

それでも、価値のあることをするんだと意気込んでいた。

 

当時から5年経ったためあまり覚えていないが、以下のような日程であった。

1日目:到着、観光(夜)

2日目:ボランティア(日中)、観光(夜)

3日目:ボランティア(午前)、観光(午後)

4日目:帰国

観光がメインのボランティアツアーであった。

1日目

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行きと帰りはVietnam Airline。久しぶりの飛行機にワクワクした。

 

現地に着き、ガイドさんと合流し、ホテルに向かった。

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日本ほど整備されていない道路、大量のバイク、乱暴な車にちょっとした恐怖を感じながらも今まで見たことない景色に目を奪われ、移動中ずっと窓の外を見ていた。

 

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ホテルに着き、窓の外を見た。開発中のエリアがあったが、思っていたよりも都会だった。

 

 

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水上人形劇。ユーモアがあって面白かった。どうやって人形を動かしていたのだろう。

 

その後、クルーズ船でベトナム料理と南アメリカ地域の舞踊パフォーマンス(なぜ南アメリカ)を楽しんだ。

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他にも春巻きとか、肉巻きとか、ココナツジュースをいただいた。

 

2日目

メインイベントの孤児院でのボランティア。

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写真は子供たちの写っていないこれだけ載せようと思う。

ボランティアの内容は「子供たちの世話をする」「子供たちと遊ぶ」。

現場に着いてようやく気付いた。

小さい子供の世話をすることも、遊んだこともない。私に何ができるのか。

一気に不安になった。

 

不安は的中した。

子供を抱っこすることもできない。おむつを替えることもできない。言語がわからないから話し相手にもなれない。

せめて少しでも距離を縮めようと、子供たちと同じ目線になるために身をかがめたりもしてみたが、すぐに疲れてしまった。

子供たちがご飯を食べる様子を部屋の片隅に座ってただただ眺めながら午前中が終わった。

 

その後、ガイドさんに連れられて近くの屋台でご飯を食べた。

メニューは確か、麺、ライスペーパーのサラダ、イチゴスムージー

ライスペーパーサラダは口に合わなかった。

 

その後孤児院に戻ろうとしたが、ガイドさんが連れて行った先は道中の民家みたいな場所。

そこにはハンモックがあった。

そして私に言った。「ここで昼寝してね〜」

あれ、孤児院に戻るんじゃなかったの?というか、昼寝??

言われるがままにハンモックに乗っかり、横になった。

初めてのハンモックはゆらゆらしていて慣れなかったが、心地よかった。

 

結局2時間近く昼寝をし、午後のボランティアは1時間かからずで終わってしまった。

はて、私は何をしにここへ来たのか。

そんなことを考えながら、帰りの道中、車の外を見つめていた。

 

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夕食はバインセオ。このベトナム旅で一番おいしかった。

3日目

午前中はボランティア。やはり私は何もできなかった。

この日のボランティアには20代の日本人女性も参加していた。

彼女はツアーではなく個人でボランティア活動をしており、この孤児院にも何度も訪れていたらしい。

子供も彼女の顔を覚えていたらしく、彼女のもとに駆け寄って遊んでいた。

いいなあ、と思いながらその様子を眺めていた。

 

この日のボランティアは外国人が多かった。欧米人も複数人見られた。

私のようなボランティア初心者もいれば、あまりにも慣れた手つきで子供の世話をする人もいた。

この人たちはどんな気持ちでこのボランティアに参加したのだろうか。

 

孤児院内を散策していると、子供たちの部屋のはずれの方に広い空間を見つけた。

倉庫の代わりとして使っていたのだろう、大量の食糧が置かれていた。

よく見てみると、食糧のほとんどはお菓子であった。

どうやらこのスペースには寄付してもらったものを置いているらしい。

だとしたら、なぜお菓子がこんなにもあるのか。他に健康的な食糧はなかったのか。日用品や消耗品という手もあったのではないか。

そんなことを考えていた。

 

孤児院を出て働いていると言う青年に出会った。

彼は英語も話すことができ、私も拙い英語であったが会話をすることができた。

どんな内容を話したかは覚えてないが、とても真面目で仕事などに熱心な青年なのだと感じた。

無意識でこの孤児院で何もできなかった自分と比べてしまった。

 

ボランティアが終わり孤児院を去る前、職員の方から封筒をもらった。

その中には「あなたはこの孤児院でボランティアをしました」という証明書が入っていた。

待って、何もできなかった私にこれをもらう価値はあるのだろうか。

その一方で、ちょっと誇らしく思ってしまった自分がいた。

少しでもそう思ってしまった自分に、さらに嫌気が差した。

 

午後はガイドさんの案内の元、ホーチミン市内を観光した。

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 統一会堂

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 戦争証跡博物館

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 サイゴン中央郵便局

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聖母マリア教会

 

一通り観光した後、ガイドさんが運転するバイクに乗せてもらうことになった。

市内のバイクの交通量をすでに見ているし、1日にバイクで25人亡くなっているという噂も聞いていたため恐怖であった。

「大丈夫ですか?」「大丈夫〜!」

私を乗せ、颯爽とバイクを走らせるガイドさん。

「怖い!!!」「怖くな〜い!」

文字通り怖かったけど、ちょっと心が綻んだ。

 

4日目

最終日はホテルで過ごし、ガイドさんに空港まで送ってもらった。

ガイドさんにはとてもお世話になったと思う。

帰る前に彼女と写真を撮った。

ところで私は基本的に写真を撮られることが苦手である。

自分の顔があまり好きではないからだ。

自撮りなんて、もってのほか。

しかし、私は彼女と自撮りをしたのだ。

旅行客と旅行会社ガイドの出会いは一期一会。

きっと彼女をまた思い出したかったのだろう。

 

日本に帰国してすぐお腹が痛くなった。

食あたりをしたのだ。

思い当たる節は2日目の屋台のご飯。特に氷を使ったスムージーが怪しい。

すぐに病院にも行き、念のため旅行会社にも連絡した。

そしたら日本人スタッフだけでなく、ガイドさんからも謝罪の連絡が来た。

当時は「初めての海外一人旅で食あたり」ということで自分自身も困惑していたが、海外での食事や体調管理は結局自分自身の責任だ。

今思えばとても申し訳ないことをしたと思う。

帰国後に思うこと

国際協力に憧れて参加したボランティアツアー。

現地で私が第一に感じたことは、それは自分の幻想だったのかもしれないということだ。

カンボジアで学校を建てる」「地雷に苦しむ子供たちを助ける」

そのようなトピックを芸能人が体験する様子をテレビで見て、かっこいいと感じていた。

もちろんこのようなメディアは国際協力を知る上でとても重要な役割を果たしている。

ただ、それはあくまでもきっかけであり、そこから国際協力のために何ができるか自分で調べたり、勉強したり、スキルを磨くことが最も大切なのだと思う。

私はそれらをする努力をしてこなかったのだ。

浅はかな気持ちでボランティアをしようとした自分を恥じた。

以降、ボランティアをすることもなく、国際協力を自身の将来の選択肢から外した。

 

あれから5年。

いろいろなきっかけが重なり、また国際協力に関心を持つようになった。

二度と「何もできなかった」と嘆くことがないよう、少しずつ自分なりに勉強しているところである。

社会人になったらボランティア団体やNGOの活動にも参加してみようと思う。

真の国際協力に少しでも貢献できるような人間になることが、私の目標の一つとなった。