【振り返り旅行記】ドイツ・ネルトリンゲン
ドイツ旅行2日目。
この日はミュンヘン中央駅からドイツ鉄道に乗ってネルトリンゲンへ向かった。
ネルトリンゲンは隕石が落下した衝撃でできたクレーター内に形成され、旧市街が城壁に囲まれた小さな街である。
「進撃の巨人」のモデルと言われており、高校時代そのアニメが好きだった私はそれを理由に今回訪問することにした。
特に「アニ」というキャラクターが好きだったので、アニになりたかったのだ(正確には、アニになった気分を味わいたかった)。
鉄道内には何組かの日本人観光客が見られた。みな楽しそうに同行している友人や恋人と会話を弾ませていた。
私は一人旅だからもちろん一人。話し相手もいない。しかし、彼らに負けないくらい胸を弾ませていた。
ネルトリンゲンに着いた。降りたのはほんの数客。日本人は私以外いない。
ますます胸が高まった。
駅から歩いて城壁の入り口へ向かう。
他都市までの距離を示したこのような標識も私は好きだ。知らない街へ訪れる妄想が膨らむ。
入り口の門に着いた。
その側に町の案内図が置かれていた。
本当に城壁で囲まれた丸い街なんだな。それだけで地図がお洒落に見える。
早速メインのダニエル塔に向かう。
ここから街を一望するのだ。
塔の中の階段をひたすら上り、頂上に辿り着いた。
胸の高まりが最高潮に達した。
これだ!私が見たかったのは。私が感じて見たかった世界は。
旧市街が城壁で囲まれていることを自分の目で確かにできる。
一面のオレンジの屋根に雪がかかっている。
ここを調査兵団が駆け巡っているんだな。
カウンタースペースで塔の主(?)に挨拶をした。
この街でもクリスマスマーケットが開かれていた。ミュンヘンに比べたら小さいが、温かみのある雰囲気であった。
ここでもヴルストとプレッツェルを食べた。
やはり本場のヴルストは格別だ。
どうやら城壁に登れるらしい。
この写真とは別の入り口を見つけて城壁へ登った。
ますます調査兵団の気持ちになった。思わず駆け出しそうになった。
一周したかったが、時間が迫っていたため惜しみながら城壁を去った。
時間の都合で、滞在時間は4時間弱だったと思う。
しかし、間違いなく、当時最もワクワクした瞬間であった。
それは憧れの街に、迷いながらも自分自身で訪れたためだと思う。
満足感に溢れたままネルトリンゲンをさった。
ちなみに今回のドイツ旅ではSIMカードを購入していない。
つまり、Wi-Fiのある場所以外でのネット環境は皆無であった。
ネット環境なしで移動をしていた当時の自分、我ながら度胸あるなと思う。
しかし、何事もなかったのはドイツのインフラが整っており、困った時に助けてくれる人々が優しかったからかもしれない。
【振り返り旅行記】ドイツ・ミュンヘン
訪問時期:2017年11月~12月
リトアニア留学中の初めての一人旅がドイツであった。
留学3ヶ月目の壁を迎えたのか、丁度秋学期末が近づいて来たせいか、日照時間が短くなったせいか、私の気持ちはすっかり滅入ってしまっていた。
平日はただただ大学に行き、休日はベッドに横になることが多くなっていった。
このままではいけない。そう思った。
そこで思いついたのが一人旅だ。
10月に現地で知り合った日本人留学生とポーランドのワルシャワを二人旅をした。
しかし、相手の嗜好や機嫌を意識する場面が多く、思い切りは楽しめなかったと思う(その日本人留学生には申し訳なかった)。
煮詰まっている今、思い思いに動き回りたい。一度もやもやから離れたい。
そう思い、一人旅を決行した。
1から旅行を一人でプランニングするのは初めてであった。
不慣れながらも3泊4日の旅行計画を立てた。
1日目:ミュンヘン
2日目:ネルトリンゲン、ミュンヘン
3日目:ベルリンへ移動
4日目:ベルリン
ヴィリニュス空港から3時間ほどでミュンヘン空港に着いた。
ちなみにSIMカードは買わなかった。ダウンロードした地図(maps.me)とネットで調べた情報を頼りに市内に向かった。
ヴィリニュスと似ているようでちょっと違う街並み。標識や看板のドイツ語にワクワクした。
リトアニアにはないスタバにも寄った。店員さんが私に向かって「Hallo」と言った。どうやら「guten Tag」よりも主流な挨拶らしい。
中心部にあるマリエン広場に着いた。
どこかの噴水。
クリスマスが近かったため、クリスマスマーケットが開かれていた。
サンタさんの飾り。
可愛いライト。
ミュンヘン新市庁舎
聖ペーター教会に登り、ミュンヘンの街を一望した。
道中で食べたヴァイスヴルストとプレッツェル。お店のおじさんが優しかった。
その後も散策を続けた。
オデオン広場
テアティナー教会
聖ミヒャエル教会
だんだんと辺りが暗くなり、クリスマスマーケットのあるマリエン広場へ戻った。
初めてのクリスマスマーケット。雪が降っており、さらにロマンティックな雰囲気が高まった。新市庁舎を見上げると、合唱団がクリスマスソングを歌っていた。とても幸せな心地になった。
ホットワイン。これも初めて。温かさと程よいアルコールが冷え切った身に染みた。カップはデポジット制で返却したが、荷物に余裕があったら購入したかった。
帰り道、ふと不安になった。こんなに楽しんでいいのか。現実から逃避しているだけではないのか。
いや、いいのだ。
久しぶりにこんなに楽しいと思えたのだ。とりあえず不安は後回しにしよう。
明日は小さな田舎町に行くし、そのあとは首都のベルリンにも行く。
冒険はまだ始まったばかりだ。
そんなことを考えながらドイツでの1日目が終わった。
【振り返り旅行記】ベトナム・ホーチミン
訪問時期:2015年1月
幼い頃から外の世界を見てみたいと思っていた。
登下校で毎日同じ道を行き来する生活にどこか飽きてしまっていたのだ。
高校の修学旅行で韓国に行き、更に海外に対する関心が高まった。
海外の途上国に対するボランティアやチャリティー活動を行うテレビ番組を見て、「こんなことがしたい!」と思った自分がいた。
漠然と国際協力に憧れていった。
「大学に入ったし、国際協力してみよう!ボランティアしたい!」
そんな気持ちで某旅行会社のボランティアツアーを申し込んだ。
ベトナム・ホーチミンの孤児院で子供たちと交流するといった内容だ。
旅行会社を介したせいか、今振り返るとかなりの金額を費やしたと思う。
それでも、価値のあることをするんだと意気込んでいた。
当時から5年経ったためあまり覚えていないが、以下のような日程であった。
1日目:到着、観光(夜)
2日目:ボランティア(日中)、観光(夜)
3日目:ボランティア(午前)、観光(午後)
4日目:帰国
観光がメインのボランティアツアーであった。
1日目
行きと帰りはVietnam Airline。久しぶりの飛行機にワクワクした。
現地に着き、ガイドさんと合流し、ホテルに向かった。
日本ほど整備されていない道路、大量のバイク、乱暴な車にちょっとした恐怖を感じながらも今まで見たことない景色に目を奪われ、移動中ずっと窓の外を見ていた。
ホテルに着き、窓の外を見た。開発中のエリアがあったが、思っていたよりも都会だった。
水上人形劇。ユーモアがあって面白かった。どうやって人形を動かしていたのだろう。
その後、クルーズ船でベトナム料理と南アメリカ地域の舞踊パフォーマンス(なぜ南アメリカ)を楽しんだ。
他にも春巻きとか、肉巻きとか、ココナツジュースをいただいた。
2日目
メインイベントの孤児院でのボランティア。
写真は子供たちの写っていないこれだけ載せようと思う。
ボランティアの内容は「子供たちの世話をする」「子供たちと遊ぶ」。
現場に着いてようやく気付いた。
小さい子供の世話をすることも、遊んだこともない。私に何ができるのか。
一気に不安になった。
不安は的中した。
子供を抱っこすることもできない。おむつを替えることもできない。言語がわからないから話し相手にもなれない。
せめて少しでも距離を縮めようと、子供たちと同じ目線になるために身をかがめたりもしてみたが、すぐに疲れてしまった。
子供たちがご飯を食べる様子を部屋の片隅に座ってただただ眺めながら午前中が終わった。
その後、ガイドさんに連れられて近くの屋台でご飯を食べた。
メニューは確か、麺、ライスペーパーのサラダ、イチゴスムージー。
ライスペーパーサラダは口に合わなかった。
その後孤児院に戻ろうとしたが、ガイドさんが連れて行った先は道中の民家みたいな場所。
そこにはハンモックがあった。
そして私に言った。「ここで昼寝してね〜」
あれ、孤児院に戻るんじゃなかったの?というか、昼寝??
言われるがままにハンモックに乗っかり、横になった。
初めてのハンモックはゆらゆらしていて慣れなかったが、心地よかった。
結局2時間近く昼寝をし、午後のボランティアは1時間かからずで終わってしまった。
はて、私は何をしにここへ来たのか。
そんなことを考えながら、帰りの道中、車の外を見つめていた。
夕食はバインセオ。このベトナム旅で一番おいしかった。
3日目
午前中はボランティア。やはり私は何もできなかった。
この日のボランティアには20代の日本人女性も参加していた。
彼女はツアーではなく個人でボランティア活動をしており、この孤児院にも何度も訪れていたらしい。
子供も彼女の顔を覚えていたらしく、彼女のもとに駆け寄って遊んでいた。
いいなあ、と思いながらその様子を眺めていた。
この日のボランティアは外国人が多かった。欧米人も複数人見られた。
私のようなボランティア初心者もいれば、あまりにも慣れた手つきで子供の世話をする人もいた。
この人たちはどんな気持ちでこのボランティアに参加したのだろうか。
孤児院内を散策していると、子供たちの部屋のはずれの方に広い空間を見つけた。
倉庫の代わりとして使っていたのだろう、大量の食糧が置かれていた。
よく見てみると、食糧のほとんどはお菓子であった。
どうやらこのスペースには寄付してもらったものを置いているらしい。
だとしたら、なぜお菓子がこんなにもあるのか。他に健康的な食糧はなかったのか。日用品や消耗品という手もあったのではないか。
そんなことを考えていた。
孤児院を出て働いていると言う青年に出会った。
彼は英語も話すことができ、私も拙い英語であったが会話をすることができた。
どんな内容を話したかは覚えてないが、とても真面目で仕事などに熱心な青年なのだと感じた。
無意識でこの孤児院で何もできなかった自分と比べてしまった。
ボランティアが終わり孤児院を去る前、職員の方から封筒をもらった。
その中には「あなたはこの孤児院でボランティアをしました」という証明書が入っていた。
待って、何もできなかった私にこれをもらう価値はあるのだろうか。
その一方で、ちょっと誇らしく思ってしまった自分がいた。
少しでもそう思ってしまった自分に、さらに嫌気が差した。
午後はガイドさんの案内の元、ホーチミン市内を観光した。
統一会堂
サイゴン中央郵便局
聖母マリア教会
一通り観光した後、ガイドさんが運転するバイクに乗せてもらうことになった。
市内のバイクの交通量をすでに見ているし、1日にバイクで25人亡くなっているという噂も聞いていたため恐怖であった。
「大丈夫ですか?」「大丈夫〜!」
私を乗せ、颯爽とバイクを走らせるガイドさん。
「怖い!!!」「怖くな〜い!」
文字通り怖かったけど、ちょっと心が綻んだ。
4日目
最終日はホテルで過ごし、ガイドさんに空港まで送ってもらった。
ガイドさんにはとてもお世話になったと思う。
帰る前に彼女と写真を撮った。
ところで私は基本的に写真を撮られることが苦手である。
自分の顔があまり好きではないからだ。
自撮りなんて、もってのほか。
しかし、私は彼女と自撮りをしたのだ。
旅行客と旅行会社ガイドの出会いは一期一会。
きっと彼女をまた思い出したかったのだろう。
日本に帰国してすぐお腹が痛くなった。
食あたりをしたのだ。
思い当たる節は2日目の屋台のご飯。特に氷を使ったスムージーが怪しい。
すぐに病院にも行き、念のため旅行会社にも連絡した。
そしたら日本人スタッフだけでなく、ガイドさんからも謝罪の連絡が来た。
当時は「初めての海外一人旅で食あたり」ということで自分自身も困惑していたが、海外での食事や体調管理は結局自分自身の責任だ。
今思えばとても申し訳ないことをしたと思う。
帰国後に思うこと
国際協力に憧れて参加したボランティアツアー。
現地で私が第一に感じたことは、それは自分の幻想だったのかもしれないということだ。
「カンボジアで学校を建てる」「地雷に苦しむ子供たちを助ける」
そのようなトピックを芸能人が体験する様子をテレビで見て、かっこいいと感じていた。
もちろんこのようなメディアは国際協力を知る上でとても重要な役割を果たしている。
ただ、それはあくまでもきっかけであり、そこから国際協力のために何ができるか自分で調べたり、勉強したり、スキルを磨くことが最も大切なのだと思う。
私はそれらをする努力をしてこなかったのだ。
浅はかな気持ちでボランティアをしようとした自分を恥じた。
以降、ボランティアをすることもなく、国際協力を自身の将来の選択肢から外した。
あれから5年。
いろいろなきっかけが重なり、また国際協力に関心を持つようになった。
二度と「何もできなかった」と嘆くことがないよう、少しずつ自分なりに勉強しているところである。
社会人になったらボランティア団体やNGOの活動にも参加してみようと思う。
真の国際協力に少しでも貢献できるような人間になることが、私の目標の一つとなった。
コロナを機にブログを再開してみる。
お久しぶりです。
リトアニア留学後、ブログを放置していました。
何をしていたかと言うと
帰国→就活(2018.7~2018.9)→卒業研究(2018.9~2019.1)→大学院入試(2019.2)→大学卒業(2019.3)→大学院生活(2019.4~)
こんな感じです。
一番大きなイベントは大学院入試、その後合格し大学院に進学したことですね。
留学中も「就活、就活…!」と慌てていたので、まさか自分が大学院に進学するとは思ってもみませんでした。
厳密に言えば、留学最終日前日に、「大学院進学」が頭をよぎりました。
人生何が起こるかわかりませんね。
昨今のコロナウイルスの影響で、おうちでの引きこもり生活になってしまいました。
買い物とバイト(飲食店)の行き来以外、基本的に家で過ごしています。
研究なり(大学院生だもの)、就活なり(今度こそ頑張ります)、やることはたくさんありますが、自由な時間が増えたように感じます。
私はアウトドア派です。
旅行が好きなのはもちろん、博物館美術館に行ったり、友人と会ったり、外に出ることが私の息抜きでした。
しかし、今のご時世そんなわけにはいきません。
今夏にウラジオストク の一人旅を計画していましたが、もちろんキャンセルしました。
最近の趣味はYouTubeを見たり、ガイドブックを見ることで旅気分を味わうことです。
新しい旅の知見を得ることで旅行気分に浸っていることが多かったのですが、ふと、過去の旅を振り返ってみたくなりました。
そこで、今までの旅、主に海外旅を振り返るためにブログを再開してみました。
私は今まで20か国・地域を訪問したことがあります。
そのうちのいくつかの思い出を振り返ってみたいと思います。
写真は3月に撮った大学の桜の写真。
また、綺麗な花を気軽に見に行ける世の中になりますように。
コロナでおこもりモードになっている今回は、続けれるようにしたいな。
それでは。
留学中にカウンセリングを受けた話
こんにちは。あに子です。
今日は留学中にカウンセリングを受けた話をします。
去年の11月、留学が始まって3ヶ月程経った頃、リトアニアでの生活に慣れ、授業も少しづつ難易度が上がってきました。そのせいか、ふとした時に気が落ち込んでしまったり、ネガティブ思考に陥ってしまうことが多くなったのです。
「誰かに相談しよう」と思ったものの、親しい友人は卒業研究の追い込みで忙しい時期で、とても声をかけることができず。反抗期?が長引いてたのか、親にも相談できず。
これに加え、この時期のリトアニアは
・日照時間7時間前後
・気温一桁以下
という、普通に生活しているだけでも気持ちが落ち込んでしまうような天気でした。
これらが積もりに積もって、動けなくなる直前までメンタルが弱ってしまいました。
そんな時、オリエンテーションで紹介されたメンタルヘルスカウンセリングを思い出しました。思い切って予約し行ってみることに。
緊張しながら指定された部屋に向かいましたが、カウンセラーの方があたたかく迎えてくれました。ちなみに海外なので、全てのコミュニケーションはもちろん英語。
辛い気持ちや悲しい気持ちを上手く表現できなかったり、そもそも伝えたいことが文章としてまとまらなかったりしてもどかしかったです。日本語でも辛すぎるためその気持ちを上手く言葉にできない、ということもありますね。
泣きながら崩れた英語で自分の状況を伝えました。そんな私をカウンセラーの方は受け入れてくれ、丁寧に話を聞いてくれました。
相談している間は私のことを一切否定せず、同情してくれたり、改善するためのヒントをたくさん与えてくれました。
また、悩みを話して答えるだけでなく、書いて整理するというアウトプット方法を教えてくれました。
例えば、「今どんな気持ちか」「なにが辛いのか」「その辛さは何に由来しているのか」「辛さの根源を改善するにはどうすればよいか」「解消できたらどんな気持ちになるか」など、事象を書いて掘り下げることで解決策を見つけるヒントを見つけることができました。
このカウンセリングには5回ほどお世話になりました。留学生活の辛い時期を支えてくれた大きな存在でした。
英語など外国語でカウンセリングを受けることは一見ハードルが高いかもしれません。そもそもカウンセリングに行くこと自体抵抗があるという人もいると思います。
しかし、ほんの少しでも辛い気持ちを外に出す、誰かに伝えるだけでも、救われたり、その糸口を見つけることにつながります。
留学中に辛いと感じる時(留学中じゃなくても)、カウンセリングを受けて見るという選択肢もぜひ検討してみてください。
それでは。
厳粛すぎた冬の十字架の丘
今年の1月に訪れた十字架の丘。
大分前ですが、感想を残しておこうと思います。
イタリア人の友人と待ち合わせ、まずは私の住んでいるヴィリニュスから電車でシャウレイへ。リトアニア学生の半額学割が効きました。
シャウレイ駅に着いた後は歩いてバスステーションへ。路線バスで行こうとしたのですが、次のバスまで一時間ほど待つ必要がありました。
その間にベラルーシ女性と知り合い、一緒に行くことに。
路線バスにのり、いざ十字架の丘へ。
シャウレイ中心部を過ぎたあたりから窓の外は一面の大地。夏だったら原っぱだったのかな。
最寄りのバス停に着いた時、ドライバーのおじさんが声をかけてくれました。やっぱ慣れてましたね。
バスを降りてからおよそ2km歩きました。これが辛かったです。
私にとって2km歩くのはそんなに大したことはないのですが、当時の気温マイナス9度。しかもそこそこ強い風もセット。コートもそんなに厚くなく、帽子もしていない。寒いを超えて痛かったです。(その後すぐ厚手の帽子を買いました)
20分ほど歩いて、十字架の丘到着。
遠目で見て、思ったほど大きくないな、という印象。
近づいてみると、よりはっきり十字架を認識し、その数の多さに圧倒されました。
吊るされたキリスト、十字架にかけられたロザリオ、死者の名前が彫られた石版…そうか、観光地化していてもここは墓なのだ。十字架は今もなお増えているそうです。(観光客も記念の十字架を購入し、丘に残すことができます。)
観光している間に吹いていた冷たい風。その風に吹かれてロザリオがカラカラと鳴り、より厳粛な雰囲気が増していました。とてもじゃないけど、友人と自撮りとか、ピースで写真を撮ったりとか、そういうことはできませんでした。
ぐるっと丘を一周。大きくないって言ったけど、撤回。意外と高さも奥行きもあって、友達を見失ってしまいました。
観光を終え、帰りはインフォメーションセンターでタクシーを呼んでもらい、帰りました。
寒くて風が強かった天気の影響もあると思いますが、今思い返しても心が震える厳粛な空間でした。
ちなみにヴィリニュスに帰る前にチョコレート博物館に寄りました。時間があったら是非。
それでは。
十字架の丘への行き方をまとめてみた
こんにちは。あに子です。
今回も過去に訪れたリトアニアのスポットを紹介します。
位置
十字架の丘はリトアニアの首都ヴィリニュスから北西約200kmに位置するシャウレイという都市からアクセスできます。
十字架の丘はシャウレイの中心部からさらに北東へ12km離れた場所に位置しています。
シャウレイへの行き方
ヴィリニュスから行く場合、バスあるいは電車を使えます。所用時間はどちらも3時間くらい。
電車の場合、値段は片道10€前後。(リトアニアの学生証LSPを持っている方は更に半額)
また、隣国ラトビアの首都リガからもバスでアクセスできます。
十字架の丘への行き方
十字架の丘まで行く方法は、私の知る限り3つあります。
①タクシーを使う
最も確実に十字架の丘へ行ける方法です。
片道利用も良し。往復利用も良し。
往復の場合、十字架の丘を観光し終わるまでドライバーさんは待ってくれます。(優しい…)
私は片道利用だったのですが、タクシーを利用した友人によると往復でおよそ20€前後。
ここで注意してほしいのは発着地点。
鉄道駅からとバスターミナルからでタクシーを呼ぶのでは値段が違う可能性があります。
私は復路でタクシーを使ったのですが、バスターミナル着のほうが鉄道駅着よりも料金が安かったです。
数百メートルしか離れてませんが、バスターミナルでの発着をおすすめします。
シャウレイ駅はこちら。
シャウレイバスステーションはこちら。
②路線バスを使う+徒歩
シャウレイのバスステーション発の路線バスを使って行く方法です。
本数は一時間に1、2本。十字架の丘行きバスの時刻表はバスターミナルでもらうことができるので、チケット売り場の方に聞いてみてください。
料金は片道約0.80€。リトアニアの学生証を持っている方は更に半額となります。
十字架の丘最寄りのバス停は「Domantai」。少々分かりづらいですが、十字架の丘に向かう道の付近にあります。観光客慣れしているドライバーさんがバス停に着いたら教えてくれることもあります。降りたら十字架の丘までおよそ2km歩きます。
③レンタル自転車で行く
これは旅先で知り合った男性から得た情報です。シャウレイで自転車をレンタルし、十字架の丘まで向かうことができます。
彼は5月末の天気のいい日に行ったそうです。夏場だからこそ使える手段ですね。
ただし、先ほども言った通りシャウレイの中心部から十字架の丘まで12kmほどあるので、そこは覚悟しておいて下さい。
次回は私の十字架の丘レポを書きたいと思います。
ちなみに行ったのは今年の1月です。記憶を掘り起こしたいと思います。
それでは。